【回想記】3月11日は何をしていたか③

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の続き

それから、度重なる余震におびえながら、学校の校舎で一夜を明かしました。
JRの駅は完全にシャッターがしまっていて、いつ復旧するのか分からない状況でした。

朝方になってから、地下鉄が動き出したというので、駅に向かうと、地下鉄には
入場規制がかかり、全く乗れる気配が無かったので、エクセルシオールへ。。

それから、コーヒーを飲み、時間をつぶしてから再度駅へ向かい、行列に並ぶことにしました。

牛歩の歩みだったけど、なんとか都営地下鉄に乗ることができ、途中で乗り換えて千代田線の各停で帰りました。

電車内は実家方面に向かう程、どんどん乗客がまばらになりましたが、出勤出来ない連絡を車内でしている人が見受けられました。

家にやっと帰り着いたその日、実家のテレビでは、地震による津波、原発が危機的な状況にあることがテレビで報道されていました。

見れば見る程、まるでバーチャルのようで、現実であることが信じられないまま、
自分達は本当に生き延びれるのか、、そんな自分勝手な不安で神経が緊張して、日に日に疲れていきました。

防災、減災を本気で考えよう!震災から3年経つ今だからこそ考える災害対策(SUGOITOKYO 前記事より)

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為本 晃弘
ライター

為本 晃弘

社会人を2年で辞め、現在は専門学校で勉強中。毎日見えない敵と戦っている24歳。趣味で漫画とプログラミングをやっています。好きなスポーツは卓球。欲しいものはお金。今年の抱負ががんばらないことです。

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