【もう二度と体験したくない恐怖】3.11東日本大震災をふり返る「今、できることとは何か?」

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3年前をふり返る


3年前の昨日、私は神奈川県厚木市でヤクルトレディをやっていた。福島県出身の私は、当時すでに家族で神奈川に引っ越していたので、深刻な影響はそれほどなかったのだが、祖母や親友や学童の恩師は皆、福島に住んでいる状態だった。

安否確認の遅れ


被災後、すぐに親友らに連絡をとったのだが、回線がパンクしてしまっていて、全員の安否確認をとれたのは3日後だった。祖母、親友、恩師、その周りの人たちにも大した怪我もなく、皆無事ということで安心した。

異常なまでのACのCM


TV番組はすべて地震関係の内容になり、CMはすべてのTV局が営利目的のCMを自粛したため、ACのCMばかりになった。周りの誰もが「ACのCM、ノイローゼになりそう」と口を揃えるくらい、「あいさつの魔法」と仁科亜季子・仁美親子による「子宮けいがん検診」のCMばかりが流れるようになった。 癌のCMは被災者から「家も財産もすべて津波に流されたのに、検診を受ける金がどこにある?」と苦情が殺到したそうだ。記者は「あいさつの魔法」のぽぽぽぽ~んが耳に残り、夢にまでうなされ、よっぽどクレームを言おうかと思ったほどだ。

仕事への影響


ヤクルトは一部の商品が福島から輸送されていたため、一時品薄状態が続いた。会社回りを主としていた私は、節電の影響でエレベーターが止められたビル10階立てを、5㎏のヤクルト商品を持ちながら往復を余儀なくされた。それを3~4社くり返し、お昼に終わる頃にはぐったりしているという毎日が続いた。

醜い争い


しばらくして、食料品の物資の配達が止まるという噂が流れ、水や日持ちする食料品があらゆるお店から消える事態が起こった。姉の子どもが生まれたばかりだったので、粉ミルクなどを買い置きした方がいいのではという話になり、ドンキ・ホーテへ買い物に行くと「ミネラルウォーターお一人様1本限り」という貼り紙が貼られて売っていた。母、姉、私は1本ずつとったのだが、隣にいたおばさんが1人で買いだめしようとカゴに何本も入れていた。誰かが言ったのか、店員が注意しに来ると「うるせぇ黙れ!」と怒鳴り散らして、店内は騒然となった。まだ物資が届かなくなると決まったわけでもないのに、そんなに自分が生き残ることが大事なのだろうか。日本はどうなってしまうのだろうと、このときとても恐くなった。

絶望の予感


食料品に続いて、ガソリンも手に入らなくなるという話が持ち上がった。必要最低限しか入れていないヤクルト会社のバイクにガソリンを入れるために、1時間30分並んでやっと入れられたという先輩もいた。そんな話があった翌日、お店の前に止めていたすべてのバイクからガソリンが抜かれるという事件が起こり、その日は仕事が大幅に遅れた。食料品の確保、ガソリンの窃盗と、平和な日本はどこへいってしまったのだろうと、絶望に近い感情を抱いたのを覚えている。

皆が皆、憔悴しきっていた


1日に何十回も起こる余震の影響で、地面が常に動いているような、めまいを起こしているような感覚に襲われて、気分が悪くなる日が何日も続いた。TVでは毎日、家や車が津波に流されている光景が映された。手をつないで逃げた親子が津波の勢いで手を離してしまい、 子どもを亡くしてしまったお父さんが泣き崩れる映像や、1人だけ生き残った9歳の男の子が、行方不明の家族を避難場所を回りながら探すところが放送されて、何度も涙を流した。人間の力ではどうにもならない災害の恐怖を、骨の髄まで知らしめられる日々が続き、肉体的にも精神的にも憔悴しきっていた。

震災から半年後、福島へ


祖母や親友に会いに、母と姉と一緒に福島へ向かった。以前住んでいたアパートは、手前の道路から玄関口まで大きな亀裂が走り、1階は歪んでところどころ崩壊していてとても住める状態ではなかった。半年経った後でもいたるところに震災の傷跡が残っていて、とても胸が苦しくなった。

親友との再会


震災後、神奈川でさえ物資の調達が困難になると騒がれているのに、福島はどうなっているのだろうと不安になり、自分が好きなお菓子ばかりではあるが、ダンボールにたくさん詰めて親友に送った。荷物が届くのもかなり遅れるだろうと思っていたのだが、翌日には届き、すぐにお礼の電話をくれた。そのことを再会した後にまた改めてお礼を言ってくれて、「県外の人でこんなに心配してくれたのは祭だけ。このことを私は一生忘れない」とまで言ってくれて涙が出そうになった。たくさん大変な思いをしただろうに、私にはこれくらいしかできなくてごめんねと伝えた。

震災後の影響


福島は放射能の影響で、悪い意味で世界中に有名になってしまった。福島県産は「汚染された食べ物」として売れ行きが大幅にダウンし、経営が破綻し、農家や店が次々とつぶれていった。また「放射能がうつる」というバカげた噂が流れ、福島の児童を県外の小学校が受け入れを拒否したり、私自身も福島出身というだけで面接を落とされたりした。今でも福島出身というと「あ~…そうなんだ」と言葉をにごす人がいる。小学生の頃、お世話になった学童に遊びに行った際、「友達が一緒に遊んでくれない」と悲しそうな子どもがいた。県外の親が福島の子とは遊んじゃいけないと言ったらしいのだ。私は胸がしめつけられる思いで「じゃあ私と遊んでくれる?」と言うと嬉しそうにうなずくのだ。お別れするときも「また絶対遊びに来るからね」と約束した。

3年後の今、ボランティア活動へ


5つの掛け持ちのうち、1つ仕事を辞めて時間にも心にも余裕ができ、その折り、くるみぼたん講師tomocoさんと知り合う機会に恵まれた。tomocoさんも被災者で、本職の傍ら、復興支援のボランティアに参加しているのだという。この機会に私も参加させてもらうことにした。来週から1ヵ月ほど、福島で活動しようと思っている。SUGOITOKYOを通じて応援していただけたら幸いだ。

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祭(まつり)
ライター

祭(まつり)

ワンピースのルフィ、H×Hのゴン、クレヨンしんちゃん、声優の高山みなみさんと同じ5月5日生まれ。おうし座、亥年、男の子の日生まれと待望の男子かと思われたが、生まれたのは病弱な女子だった。生粋の左利き。動物占いは群れを好まない「狼」。ショップ店員に紫色が異様に似合うと過去5回言われたが、本人は深海の蒼色好き。

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