ついに閲覧制限がかかった「はだしのゲン」

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学校で堂々と読める漫画といえば・・・


教室に漫画など持ち込もうならこっぴどく先生に叱られる小学校。そこになぜか堂々と置かれていたあの漫画。

筆者を含む読書嫌いな自動にとって、読書の時間の救世主となった漫画、それが「はだしのゲン」だ。こども達のヒーローだったあの漫画が、近頃『問題児』として再び話題になっているという。

閲覧制限の理由


「はだしのゲン」に閲覧制限がかかったのは昨年12月。作中に首をはねるシーン、女性への乱暴行為などの過激な表現があったことが問題視された。


問題となったシーン

島根県松江市の教育委員会は市内の小中学校に対して「閲覧に教師の許可が必要」という措置を求めた。これにより、「はだしのゲン」を蔵書に持つ市内の学校(全体の8割)で閲覧が制限されたことになる。今年の8月に入り、このトピックをメディアが大々的に報道。「はだしのゲン」が巷を賑わしている。

『表現』の問題の裏に隠れる『思想対立』の問題


なぜ今回の件がメディア各社のみならず政界要人を巻き込んだ大問題へと発展したのか?その真相に迫るには、『表現』の問題の奥に潜む『思想』の問題に焦点を当てる必要がある。つまり、そもそもなぜ過激な表現の漫画が何十年もの長きにわたり小学校に置かれ続けてきたのか?を考えなければならない。

今回の問題の本質は、「グロテスクな表現はいけない」VS「ありありと悲惨さを伝えるべき」という表現の対立ではなく、左翼VS右翼の思想対立である。ゲン少年の「天皇はきらいじゃ」という発言や”君が代斉唱”を拒否する描写から見て取れるように、「はだしのゲン」は左翼思想の漫画だと言われている。右翼思想にとって『自虐史観』と言われる、愛国心を持たせない表現が「はだしのゲン」には多く見られるのだ。日本は敗戦後、「戦争の反省」として愛国心を煽る表現を極端に排除する傾向にあった。今回、左翼思想の代表と言われ、少年少女達にとっては数十年間”読書の時間のヒーロー”であり続けた「はだしのゲン」に『閲覧制限』の措置が取られたことは、思想の歴史にとって大きな一歩だったのではないだろうか。

問題の現在


「はだしのゲン」騒動は、現在一時的に収まりを見せている模様だ。メディアの報道によって「表現の自由を守るべきだ!」等の批判を浴びた松江市教育委員会は、8月26日に閲覧制限を撤回。その対応の早さに”閲覧制限肯定派”の批判を再び浴びたが、現在は沈静化している。

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ライター

ライターA

何もすることがないと思いきや一日にやることは思いの外多く過ぎてゆく日を大海のごとく背にしている。 Homepage / Twitter / Facebook

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